明治大学の森川嘉一郎准教授
日本の漫画やアニメは世界から高く評価される一方で、漫画の原稿やアニメ作成に用いられる原画などの保存が課題となっている。文化庁は今年8月に、漫画やアニメ、特撮、ゲームなどの資料を保存できる国の拠点について検討する有識者会議を設立した。委員の1人である明治大学の森川嘉一郎(もりかわ・かいちろう)准教授に話を聞いた。
――原画など資料保存の意義はどのようなところにあるのでしょうか。
2019年に大英博物館で日本の漫画の大規模な原画展が開催されるなど、国際的に、漫画やアニメの原画類に高い文化的価値が見出されるようになっている。これと併行して、海外の美術オークションにそうした原画やセル画などが出品されるようになり、手塚治虫の『鉄腕アトム』の原稿が約3,500万円で落札されるなど、ものによっては美術品並みの金額で売買されるようになってきた。
本来漫画やアニメの原画類は完成作品を制作するための中間的な工程の産物だが、それらが海外に渡って美術市場で取引されるようになると、それらが漫画などの作品の「実物」や「本物」と見なされるようになったり、投機的な原理で個々の作品の価値が海外で定められるようになったり、その価値の高い「本物」の多くが海外に流れてしまっている状態になったりしかねない。
加えて、漫画やアニメの原画類には、漫画家やアニメーターの表現意図や技術がさまざまに表れており、文化や芸術として研究する上でも重要な資料となる。その資料の多くが海外に渡れば、研究の本場も国外になってしまう。国内に保存体制が整備される意義は、このように、多岐にわたる。
――保管者が亡くなると、漫画やアニメの原画などの散逸につながってしまう。
例えば、漫画家であればキャリアが長くなるにつれて、自宅に保管することになる原稿が膨大な量になりうる。存命の間はともかく、本人が亡くなると遺族が持て余してしまい、売却したり処分したりせざるを得なくなることも多い。
手塚治虫や石ノ森章太郎といった記念館が建つような漫画家であれば、そうした施設が保存を担いうるが、そのような漫画家はごく一部。作品が後世で再評価されるケースが多々ある中で、その頃には原画類が失われたり散逸していたりする事態になりかねない。
作家やその遺族、あるいはアニメスタジオだけでは保存や管理が難しいときに、受け皿となる国の施設や取り組みがあれば、救える資料も多くなると考える。
――課題はどこにありますか。
最大の課題は空間の確保であり、これは漫画、アニメ、ゲーム、特撮のいずれの原画などの資料の保存にもまたがる。無限の空間があれば、寄贈の提案があったときにそれらをすべて受け入れられる。けれども、実際には空間的な制約が常につきまとう。
ほかにも、過去のアーケードゲームを稼働し続けられるようにできる技術者や部品の確保、ソーシャルゲームをいかに保存できるかなど、さまざまな課題がある。民間だけでは解決しがたい側面も多々あり、それらを国がとらえることは、重要な一歩になる。
――どのようなものを優先的に、どういった形で残しておくべきですか。
理想を言えば、網羅的にあらゆる作品やその原画類を保存することが望ましい。空間的な制約がある中でも、網羅性をいかに高めるかが重要だと考える。
評価が定まった作家の作品や、世間的に大ヒットした作品から保存対象にしていくという考え方になりがちだが、文化的価値が低いと見なされることの多い成人向けジャンルが、後の作品群に大きな影響を及ぼしたことが発見できたりする。また、麻雀やパチンコ漫画などの存在も、日本の漫画文化の大きな特質である多様性を構成するものとなっている。
ほかにもおもちゃやプラモデルといった関連商品も残す必要がある。おもちゃを売るために作られたことが、ロボットものや魔法少女ものなど、日本独特のジャンルを生んだ。そうした商品を含めて保存しないと、作品内容の歴史的な成り立ちがたどれなくなる。
――研究や教育、人材育成にも生きてきますか。
漫画やアニメそれ自体の研究にとって、原画が重要な資料になることは先ほど申し上げたが、ことはそこにとどまらない。とりわけ20世紀後半以降、漫画は、日本の人々の価値観や生活の変化を、性別や年代ごとに、細やかに、かつ幅広く映し出す、類い希な記録としての側面を持つようになった。その時々の少女が、何に憧れていたのか。同年代の少年とは、見えている世界がどのように違っていたのか。
その彼ら彼女らが青年に、さらには家庭を持つような年齢になるにつれ、どのように価値観やライフスタイルが変化したのか。軽薄短小な娯楽と見なされてきたからこそ、重要な歴史資料にもなっている。そのような研究にいかすためには、資料の保存とともに、その整理や、アーカイブの構築や維持を担える人材の育成が重要となる。